言葉は生まれ、そして死語の世界へ
現在世界には約6000の言語が存在するといわれている。
ところがその6000の言語の多くが絶滅の危機に瀕している
という話を聞いて、あなたは何を感じるだろうか?
少数民族などで使われている言語が、えーいわゆるひとつの
グローバリゼーションによってですねーエクスターミネーション
されたりするんですよー(長島さん風ですいません)。
生活習慣が変わり、さらに物流が激しくなったりしてだんだんと
少数言語が追い詰められているわけだ。
さらにインターネットなんてものが広がってきて、その流れは
ますます加速していく。英語が使えて何ぼって流れになる。
なんていうか、もったいない話である。
言語の絶滅ってのは生物種の絶滅に匹敵するのではないかと思う
んだけど、かつて少数言語使ってた人らにも生活あるから、使いやすい
ほう選ぶのは当然だしとも思うわけで。
貴重な言語を絶滅させるのは生物種を絶滅に追いやるのと
同じくらいの大罪かもしれないが、人間の意志が絡んでくるから難しい。
の一方で言語作ってしまった話もいくつか存在する。
人工的に作られた言語エスペラント語は有名だが、それ以外に
指輪物語の中に登場する言語のいくつかは作られたものだし、
スタートレックのクリンゴン語も作られた言語だ。
高い知性を持った双子の姉妹が、自分たちだけにわかる言語を
作ったという恐るべき話すら存在する。
そう、言語を操るには、そして作り出すには高い知能が必要なのだ。
そして使うにはさまざまな身体的機能が必須である。
人間の脳における言語野は大きく、さらに関係する領域も非常に多い。
言語を操る運動をつかさどるブローカ領域、言語理解や文字理解に
重要であるウェルニッケ領域などが言語領域として知られているが、
それぞれの言語によっても使う言語野が別である。
例えばバイリンガルの人の場合、ある言語と別の言語を使う際に
脳内で違う領域が活性化していることが明らかとなっている。
さらに文字に関してもアルファベット、漢字、ひらがななどでやはり
違う領域が使われている。
出産前のあかちゃんも話すのを聞いているらしい。
結構1歳くらいの子供も、相当な言語理解能力があるようである。
しゃべれないけれどある程度理解しているということらしい。
そう考えるとむやみに子供の前で喧嘩したりするのはあんまり
よろしくないのだが、そういうことに気を使わない人の子供が
そういう子供を生み出す負のスパイラルがあるようで。
言語自体が絶滅する、といったが、それ以前に言葉レベルでの
生死は結構多いんじゃなかろうか?
死語の世界。
古典なんてのは現在使われていない以上死語の世界ではあるのだが、
…もっとも古典の内容見たら、存外昔の人も変わりねぇよなぁと。
紀貫之は元祖ネカマ(ネットはないけど)とかいうし、源氏物語という名の
同人誌回し読みなんて話もあるわけで。
…そこは1000年前に彼らが通過した世界だ!
うん、日本ってすごいね(創作領域では特に)。
歴史編纂に関しちゃ中国には負けると思うけど。
小説の歴史考えたら欧米なんかに比べたらずいぶん進んでるような。
日本語ってのは独特な部分があるのは確かだ(語順などに)。
江戸時代末期の識字率は同時期の欧米諸国以上だったという話が
あるが、もし同じ言語使ってたらどうだったのだろうか?
文字というのは文明形成上どうしても欠かせないものであるか、
というとちょっと微妙なんだよなぁ。
例えばアフリカにはかつて巨石をくみ上げ、巨大な建造物を構成できる
高度な文明が存在したことが知られている。
しかしながら彼らには文字がなかったので(無文字文明とも言われる)
いったいその文明がどのようなものなのか十分に解析できない。
さらにその文明の技術はロストされてしまった…
文字と言語、この両輪を持つ文明が結局生き残ったのだ。
運の問題もあるだろうとは思うんだけど。
いつかはわれわれの使っている言葉も消滅する、が、文字があれば
少しは長く生き残らせることができる。
人の考えも同じだ。
考えたことは消滅しても、文字に残したものの方がより長く残りうる。
大事なことは、残しておきたい。